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南国をゆく  【小浜島】


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つのだ☆ひろ出張クリニック

<八重山の若き音楽の才能を育てよう>
2007年12月14日(日)15日(土)に石垣市総合体育館サブアリーナで「つのだ☆ひろ出張クリニック」が開催された。八重山の若き音楽の才能を育てよう!という趣旨で、東京から「つのだ☆ひろ氏ら一行」が石垣島にやって来た。受講料や参加料などは一切無く、音楽の初心者から、プロをめざす方まで幅広い層に集まってもらい楽しく音楽に触れようというイベントだった。つのだ氏は今回が始めての石垣島で、つのだ氏の専属カメラマンから石垣島にさそわれたのが縁だったという。
       

映画「恋しくて」の中江裕司監督に密着同行 

<DVD発売記念・特別インタビュー>
中江監督は、すごく熱い人だった。映画人とはこういう人達なんだと納得した。と、同時にフツーのオッさんでもあった。1960年に京都で生まれた中江監督は、 大学時代は沖縄で過ごしたそうだ。それも農学部というのだから意外というほかはないが、本人いわく「特に好きだったわけではなかったけど」。今は沖縄本島の 南風原に住んでいる。その中江さんが「石垣島は、沖縄の中でも特に濃いよ」と言っていた。それが映画「恋しくて」を作る要因の一つでもあるらしい。また、 「石垣島には人間本来の生活が今も息づいている」とも語っていた。この映画を見た人が石垣島に来て「情(なさけ)深い」人たちと触れ合ってくれることを 望んでいるようだった。
       

柳田国男、石垣の旅

日本人ルーツ探しの旅は、ここ石垣島から始まった
沖縄を旅する人にとって柳田国男という人物はもう少し知られても良いかもしれない。「日本人は、最初どの方面からどこへ渡ってきたか。」というテーマを明快な論拠により示してくれたのが日本民俗学の父とも呼ばれる柳田国男である。 彼は浜辺に漂着したヤシの実を見て遠い昔に日本人の祖先たちがどのようにしてこの地に移り住むようになったのかを想像した。その想いは彼の最晩年に『海上の道』という著作として結実する。 その著書の中に子安貝というたいへん美しい貝が登場する。子安貝などの美しい貝を総称して"宝貝"と呼んでいるが、中国では銅を貨幣として用いる以前にはこのような宝貝が貨幣としての役割を果たしていたと言う。 この時代、宝貝は貨幣として用いられるくらい貴重だった。それらの貝は通常の海浜では見つけることができず、はるか海の彼方にある島で獲れるとされていた。もちろん手に入れるためには海を渡って探しに行くという困難が待ち受けている。命懸けと言ってもよい。 この貝が石垣島でも獲れる。柳田は次のように述べている「どうしてそのような危険と不安との多かった一つの島に、もう一度辛苦して家族朋友を誘うまでして、渡ってくることになったかということになるのだが、 私は是を最も簡単に、ただ宝貝の魅力のためと、一言で解説し得るように思っている。秦の始皇帝の世に銅を貨幣に鋳るようになったまでは、中国の至宝は宝貝であり、その中でも二種のシブレア、モネタと称する黄に光る子安貝は、一切の利欲願望の中心であった。」 柳田はヤシの実が南方から漂着するのをヒントにして、日本人の祖先たちもまた南方より渡り住むようになったと考察した。 その柳田国男が石垣島を訪れた折に残した歌が石碑となって今は白保にある。「あらはまのまさごにまじたる たから貝 むなしき名さへ なほうもれつつ」 白保に行くには国道390号を使うが、この道の起点は石垣市美崎町で、同市の中心地に当たる730交差点から東に向かって始まる。大海を渡るヤシの実が辿ったごとく、 この国道390号は石垣島から海を隔てて、宮古島へと続き、さらに沖縄本島の那覇まで通じている。実延長は65.3kmに及んでいる。
※ カッコ内は柳田国男著『海上の道』より引用

       

長虹堤〜500年以上前の海中道路

中国皇帝の使者が渡った幻の浮橋跡
那覇はかつて海に浮かぶ「浮島」だったため、中国から使者が来琉した時には那覇から今の宗元寺跡まで小舟を並べて橋として上陸し首里に向かったという。 1451年に琉球王尚金福によって那覇・安里を結ぶ約1kmの浮橋(海中道路)が造られた。 今のモノレール美栄橋駅は、この道のほぼ中央に位置する。中国からの使者がこの浮橋を「遠望すれば長虹のごとし」と呼んだことから 「長虹堤」と称されるようになった。現在はその起点に当たる「宗元寺跡」としてわずかに昔の面影を残している。
       

AURACAFE (オーラカフェ)

沖縄の癒しをゆっくり味わうカフェ
入り口をくぐった瞬間に「ハッ」という驚きに襲われた。そこにはいままでに出会ったことがない不思議な空間と時間の流れが感じられた。 なにげなく歩いていて外にぶら下げてあった宣伝用の店内の写真を見て、3階建てビル脇の急な階段を上って初めてこの店に顔をだしたのは2006年の夏前だった。 それ以来、何度となく足をはこび「那覇で最も落ち着けるカフェ」になってしまった。 ゆったりとくつろげるお気に入りのソファに腰掛けて、窓外に広がる沖縄の空を眺めながらスローな時間の流れのままにカプチーノを味わうときは至極のひとときだ。 ※残念ながら大好きなAURACAFEは今は無い。
 
電話 :    098-869-4066
住所 :    那覇市前島1-1-1(ゆいレール美栄橋駅前)
営業 :    月ー土 11:30-23:00 日 12:00-22:00
休み :    水曜日
       

       
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